2008-01-01から1年間の記事一覧

自分を投げ出すことと「平安の祈り」

自我について考えるとき、5月27日の「自分を他者に投げ出す」ということが大切なことだという姜尚中(カンサンジュン)さんの表現について、6月22日の日記で「ありのままの自分自身を受け入れ、自己コントロール(と他者コントロール)を手放す。それ…

いま読まれるプロレタリア文学

小林多喜二の「蟹工船」が読まれています。きっかけは、雨宮処凛さんと高橋源一郎さんの今年1月の毎日新聞紙上での対談のようですが、駅前の大きなビルの中にある本屋さんの、ランキングでここ何ヶ月以上ベスト1です。 今のワーキングプアーなどに見られる…

世の中には、悲しみが満ちている。

友人の葬儀の当日は、梅雨の晴れ間の真夏日を思わせるような、暑い日だった。 知人、友人の控え室で、お焼香の時間まで待つことになったけど、そこの部屋の冷房が効きすぎていただけじゃなくって、鼻水が出て仕方がなかった。 最後のお別れの時、棺のふたを…

大切な友人が亡くなった

昨日は日曜日だったので、一日ぼんやりしていても差し障りはなかった。今日は、仕事をしながら、ふと意識がどこかへいってしまう感じと、目がなんだか充血して目の周りが暖ったかい感じが時々していた。膝はまだ少し痛いんだけど、それも何だか自分の足の痛…

「自分を他者に投げ出す」ということ

5月25日の日記で、他者との関係において「(他者から)承認してもらうには、自分を他者に投げ出す必要がある」という表現に出会ったと書きました。その時は、自分のバイアスの掛かった受けとめ方を小さくする心構え、みたいな感じで書いたのですが、この…

東山魁夷さんと時代の息吹

6月4日の日記の終わりで、「時代の息吹の表現者となること」を書いたのですが、書きながら息吹というものが、芽吹きと音が似ているし、新しいなにかへのイメージと重なるな、と思っていました。 例えば、先のティントレットの「受胎告知」の場合も、人間的…

落語「芝浜」で考えてしまう時代の質

先日のように、体調が悪くて会社を休み、病院へ行くことで、給料が減る+臨時の出費が掛かったりすると、体に負担をかけずにお金が手に入ったらいいなぁ、と思ってしまう。宝くじが当たったりしてね。 でも、そんな時、思い出すのが、落語の「芝浜」。 (立…

マンゼの「ロザリオのソナタ」

4日の日記はあの後に、ロザリオのソナタのCDについての文章を書くつもりでしたが、時間がなくなってしまい、あそこで終わりました。そこで今日はそこのあたりを。 以前レコードで聞いていたときは、2枚組みのものだった思うのですが、演奏者もレーベルも…

「受胎告知」と時代の息吹

CDのジャケットに絵画が使用されていることが多いので、その美しさに魅かれて、つい手がのびますね。それにジャケットが素敵だと、内容もいいんじゃないか、と思ったりして。 写真は、ビーバーのロザリオのソナタのです。これはジャケットでと言うわけでは…

文章の力

ず〜っと、気になっている名前があるんです。書店に行って文庫の棚あたりを通りかかると、あ・い・う・・・う・・・う・え・だ と探している著者なのです。上田三四二さん。 そのお名前をはじめて目にしたのは、木下杢太郎の「百花譜百選」の復刻出版案内パ…

「一身にして二生を経る」

子どものころの思い出は、やはり父母にどこかへ連れて行ってもらったことですね。 父とは魚釣りに。その場所は、護岸がしっかりした運河のような川でした。その川沿いには、材木が積んであったり、細めの丸太が沢山立ててあったような景色を覚えています。少…

ビヴァルディのモテット集

先日の日記(5月13日)に書いた、私にメゾ・ソプラノのマグダレーナ・コジェナーを教えてくれた同僚の自宅へ、以前遊びに行ったことがあります。 ルネサンスやバロックの声楽曲をしばらく聴いたあと、一枚のビヴァルディのモテット集を聴かせてもらった。…

「まじめはむつかしい」のチョット続き

昨日の日記で、他者との応答の中で柔軟な精神を持てるというのは、ある種の勁さ(つよさ)に裏打ちされているのではないか、と書きました。 では、その勁さというのは何であり、どこから来るのでしょうか。 相手の気持ちだとか考え方だと、こちらが思ってい…

まじめはむつかしい

5月18日の日記で、「自分が何者であるかは、他者との応答の中でのそのつど明らかになってくる、ということだと思うので、いつでもその応答にたいしては、柔軟な精神を持っていたい。そしてこのことを大切なことと考えたいのです。」と、他者とのあり方に…

「人生が二度あれば」

姜尚中(カンサンジュン)さんが、夏目漱石についてTVで話しているのを見て・・・と2月16日の日記に書きました。その後で、そのTVの番組「知るを楽しむ・私のこだわり人物伝・夏目漱石」が再放送されたけど、うまく録画できなかったりで見られなかっ…

アメリカに追いつく日本

5月4日の日記で「全身当事者主義」を引用しながら、別のあの本のところも参照しておこう、と思っていたので今日の日記で書きます。 4日に引用したのは「イラクに行っていた米兵が、今の日本の不安定雇用の人たちよりさらに劣悪な状況にあったことがわかり…

地球にへばり付いた砂

5月14日の日記で「自分の体験に強く影響され、状況を乗り越えた自分の体験を唯一の基準に判断する場合、今の社会的な状況を見誤ったり、そうした状況と課題を表現する新しい概念を否定したりする危険性がある。」と書いたんですが、このことをもう少し一…

様々な当事者性と当事者であることの否認

5月4日の日記の続きとして。 赤木さんの場合は、当事者であってもその当事者性には問題があると思う。その当事者が直面する解決されるべき課題をどのように考えるか、ということにおいて。課題を解決する方法の違いは、ひとそれぞれであっていいけど、結局…

希望は戦争っていうのは自殺願望だ

戦争の実態を知ってしまった高遠さんたちからすれば、「『丸山真男』をひっぱたきたい−31歳フリーター。希望は、戦争。」(赤木智弘著)の主張なんかは、とうてい認められないよね。 その赤木さんの主張はだいたい以下のようですね。 “日本は、バブル崩壊…

イラク「当事者」としての高遠さん

高遠さんは、イラク人じゃないので当事者じゃないけど、当事者性を獲得している、ということだね。イラクへ行くまでのところは、前の日の日記で引用して流れはわかったけど、当事者にぎりぎり近づく気持ちを語っているところがあるよね。前回は引用が長くな…

自己責任で思いだす事件

前々回の日記で、自己責任という文字を書いた時に思い浮かんだのは、2004年にイラクで日本人が人質になった時の、国内で湧き上がった声のことだった。 「全身当事者主義」の中に当の高遠菜穂子さんの対談が載っていた。事件のあらましをこう語っている。…

病気になるのは自己責任?

サプリメントの日記を付けながら感じていたんだけど、健康に日々気をつけて運動したり、食事に気をつけたりしている人というのは、病気になるのはその人の生活ぶりが原因で、自分で病気を招いている、ということを強調する傾向があると思う。 確かに、生活習…

肩身の狭い老い方なんていうものはない

最近のサプリメントのコマーシャルに「肩身の狭い老い方はしたくない」というのがある。 年をとってくれば、体もあちこちいうことが効かなくなってくる、病気にもなる。介護をしてもらわなければならないこともある。 人のやっかいにならなければならないよ…

もう一度「理想」と「他者」について

「なぜこうも夢・理想と他者との関連のことを言っているかというと、私自身が、理想とかやってみたいことを考えようとした時、私にとって切実な他者が存在していないからです。」 前回の日記での文です。生活の不安定さからくるいろいろな「希望」はあります…

自分の理想と他者の存在

自分の夢とか目的、理想とかを考える時に、他人の存在というものが大きな要素としてあるのでは? ふと思った。 ○○な自分でありたい、△△なことをしてみたい、と思う時に、自分だけの事柄ではない他人への配慮というか、他人との関わりの中でそのことを考える…

物づくりのブルーカラー

「デッドライン仕事術」の中にこんな文章があった。「ものづくりの現場である工場では、昔から作業の効率化が進められており・・・では、どうしてブルーカラーにできることがホワイトカラーにはできないのか」(p23) 思い出すことがあります。以前仕事を探…

内容が分かった本を買う

本を買う時は三分の二は内容が分かった(つもりの)本を買うのがいいかも。 「はじめに」とか「あとがき」、帯、もくじ、それから中をパラパラ見て買うのですが、今日は迷った。内容の大まかは、それらを読めば分かってしまったと、思ったから。それにビジネ…

人生の意味

夜、TVで探検ロマン世界遺産−アウシュビッツと広島をチャンネルを回していてたままた見た。 アウシュビッツから生き残ることができ、今は語り部としてその残酷さと罪を次世代に記憶として伝えようと活動しているポーランド人。広島は、10代で被爆後、故…

貧困ビジネス

明日は、久しぶりの土日の二日連休日。仕事も少し残業になったけど、明日の代わりに担当してくれる人が凄く大変、というわけではない程度には片付いたと思う。気分的にゆっくり休める。 そして久しぶりに(今日はひさしぶりが多いね)、ターミナルにある書店…

さまざまのこと思い出す桜かな

桜が満開になった。 さまざまのこと思い出す桜かな 今この句はコマーシャルで使われている。起用された女優さんの顔は思い浮かぶけど、何のコマーシャルだったっけ? 2・3回見たことがあるのにぜんぜん思い出せないわ。 この芭蕉の句を知ったのは3年ほど…