自分を投げ出すことと「平安の祈り」
自我について考えるとき、5月27日の「自分を他者に投げ出す」ということが大切なことだという姜尚中(カンサンジュン)さんの表現について、6月22日の日記で「ありのままの自分自身を受け入れ、自己コントロール(と他者コントロール)を手放す。それが『自分を他者に投げ出す』ということではないでしょうか。」と書きました。
そして、書きながら「平安の祈り」ともどこかで関連することかな、思いました。
「自分を〜投げ出す」という表現と「平安の祈り」の「〜を受け入れる」という表現が近い感じが。でも、その時はなぜか書けませんでした。そこで今日もう一度。
「神様、私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そして、この2つを見分ける賢さを」
自分にできないことと、できることを区別し、見分けることで、他人に侵入(本来、私が変えることができない他人)することを止め、自分へのあきらめ(私は変われっこないのだ)を戒めることになる。そして今までの逆向きのエネルギーのサイクルが、自己評価の低さ(への恐れ)を、他者を操作・コントロールしたり、蔑視することによっておおいかくし、自己のパワーを偽装してきたのだと思います。このエネルギーの逆噴射が、自分の進むべきところから遠ざけてきた大きな要因だと思います。
ここまで書いてきて何か入り組んでて、見通しが悪いな、と感じます。ここかな。
私が22日に書いた「ありのままの自分自身を受け入れる」という表現が、『平安の祈り』の『変えられないものを「受け入れる」落ち着きを』の「受け入れる」とおなじ言葉づかいになっていますが、これは、「ありのままの自分自身」を変えられないものとして「受け入れる」、と私が理解しているわけではありません。
6月22日の日記での「ありのままの自分自身を受け入れる」というのは、「他人と違う自分の個性や性格、能力などを肯定的なものとして受け入る」ということとして使っています。ありのままの自分を変えなくてもいいものとするつもりはありませんが、肯定のほうに重心がかかるのは、<自尊心のひびわれの修復>としての肯定のニュアンスも含ませているからでしょう。
また、他の人と違うところを持つことによって、人のなかにいても違和感をいだくことはあるかもしれないけど、その違和感をすぐになくそうとして、人に合わせたり、自分のその部分を切り捨てることはもったいないと思います。なぜなら、いまはその違うことが違和感として感じられるにとどまっているけど、それを洗練させれば個性となるものでもあると、思うからです。
これですこしは見通しがよくなりましたかねぇ?
とりあえず、6月22日のときに、「平安の祈り」を関連あるものとして続けて書けなかった理由、それが何だったのかが、きょう日記を書いて分かったわけです。
継ぎ目がきれいではない文章になってしまいましたが、自分がどんな順番で考えてきて、つっかえてしまったのかが分かるので、書いたものを直さずにこのままでいいことにしました。
いま読まれるプロレタリア文学
小林多喜二の「蟹工船」が読まれています。きっかけは、雨宮処凛さんと高橋源一郎さんの今年1月の毎日新聞紙上での対談のようですが、駅前の大きなビルの中にある本屋さんの、ランキングでここ何ヶ月以上ベスト1です。
今のワーキングプアーなどに見られる労働の現場と相通じところがある、ということだと思います。
高度成長期以降、新中間層といわれた人々の生活様式の多様化と耐久消費財の購入による生活の快適さに伴う豊かさの感覚が増大し、一億総中流と言われる時期が続きました。また社会主義体制の崩壊で、資本主義が自己成長と社会改良をなしうる、現代社会での唯一のすぐれた社会体制だ、という印象が振りまかれました。
しかし今日、多くの人々は資本主義が構造として持つ本質的なあり様は、自分たちを本当に幸福にするのだろうか、と再考し始めているのではないでしょうか。
「蟹工船」の解説(岩波文庫・蔵原惟人)の中に多喜二の言葉があります。
「水呑百姓の父、日雇いの女土方をした母−そして食うや食わずに育った自分は、12、3の頃、海軍の青年士官になることを本気に考えた。そして14、5には、一躍『鉱山王』になることを空想した。学校までの道は1里半もあったので、途中その計画を色々空想して歩くことを、自分のたった一つの楽しみにしていた。センチメンタルな16、7になると、自分は今度は無条件に『文豪』になることを考えた。・・・
ブルジョワ社会の無政府状態と水も洩らさない強化網は、今の若い貧乏人をこんなにも遠回りさせるのだ。だが来る処には来る、また来させなければならない。」 (p251〜2)
プロレタリア文学の読者は、どんな人たちだったのでしょうか。共産党が非合法であり、紙は配給制で、雑誌の文章は伏字だらけ。そんな時代にプロレタリア文学はどう読まれていたのでしょうか。その様子は想像することもできないけれど、ガリ版刷りの回し読み、というのとはちょっと違うようです。
解説に次のようにありました。「一般の読者のあいだでもこの作品(「1928・3・15」)は感激をもってむかえられた。この作品は当時の検閲を考慮して、多くの削除や伏字をもって発表されたにもかかわらず、当局はこれを掲載した『戦旗』の両号(2号にわたって分載−引用者)を発売禁止に処した。しかしあらかじめそれにそなえていた戦旗社では、この発行部数それぞれ8000部のうちの多くの部分を売りつくし、それは読者の手から手へと渡ってかなり広く読まれた。また翌年9月には『蟹工船』とともに単行本として発行され、これも発売禁止の処分をうけたたが、しかしその配布網を通じて、半年ばかりのあいだに15000部が売りつくされた。」 (p258~9)
解説文の「一般の読者のあいだでも」という表現からすると、プロレタリア文学は狭い読者層を対象にした「秘密の文学」というわけではなかったようです。「『蟹工船』は当時ただに左翼的な批評家によってばかりではなく、ひろく一般の文壇からもみとめられ、8月の読売新聞紙上では、この作品が1929年度上半期の最大傑作として多くの文芸家から推された。」 (p268)
そうしたプロレタリア文学についての評価はどのようなものなのか、詳しく知る材料は手元にありませんが、全体がどういうものであったのか、という印象は次の楜沢健さんの発言で知ることができると思います。
「楜沢:中野重治や小林多喜二など共産党中心の作家の小説の書き方には、『そうあるべきだ』という方向性がかならず出てきてしまう。葉山芳樹の作品では、人との出会いによって、はじめてそこで言葉が生まれてくる。自分で獲得していくんです。あるいは自分のなかで言葉が動きだす瞬間に出会っていく。おそらく、それが集団のはじまりだと思うんです。
ところが、中野重治や小林多喜二は、人が集まって言葉が出てくるまで待てない。ずっと描写を続けていけば、一人ひとりのなかで言葉が動きだして、それが予測不可能にぶつかり合うところまでいくはずなんですが。そこまで待てずに上から言葉を与えてしまう。・・・
上から言葉を与えることで話をまとめてあげてしまっている。そこがプロレタリア文学の可能性と限界だったのかなと思います。ただ、ではこんなふうに集団や人の集まる描写をほかの近代文学が描いているかというと、やっぱりないわけで、そこは評価しなければいけないと私は思うんです。」 (「軋む社会」本田由紀 p215~6 )
「上から言葉を与える」ということは、党活動の非合法下、民主集中制の集中のほうに力点がかかったこともあったかもしれませんが、一般的に言っても政治的な運動の過程においては、目的である政策の実現を第一に掲げるゆえの、個々人の内面が等閑視される傾向がある、ということはいえると思います。
しかしながら、政治的な運動にあっては、(刻々の)当面する局面、課題に対して、すばやく方針を示すことは大切なことではあります。最近読んだ本(刊行は20年前ですけど)のなかで、あの60年安保の国会への抗議行動のなかでの、個人の思いを知ることができました。
「あの国会周辺のデモが日に日に規模を拡大し、激しさをましてくればくるほど、そのエネルギーが国会の木柵と石の壁以外に当面の打撃目標をもたず、民主主義擁護というスローガン以外に戦略目標をもたないために、いたずらに宙に向かって放散されるほかない光景を目撃したとき、戦後の15年間わたしの身裡に深くわだかまっていたひとつの夢がひとつの幻影がわたしからずりおちたのであった。」(「日本の戦後小説」西川長夫著に引用された佐々木基一の文章 p305~6 )
文学は政治、広くは社会とどう関係するものなのでしょう。
以前、2月26日の日記で、魯迅についての文章を引用しました。
「文学を通じて、中国人が堂々と胸を張れるようにならなければ、あたかも人間的に劣るといわんばかりの外国人からのあつかいをやめさせなければ―彼はそう考えたのである。
しかしなぜ、それができるのは文学だけなのか? 哲学や政治論ではどうしてだめなのか?なぜなら、文学なら人類という大きなキャンバスにアイディアを描きだすことができるから。わたしたちの信念や個性が、日々の生活のなかでどのように作用するのかを、そこに見ることができるのだ。・・・
ほかの人間、血の通った現実的な人間がどんなふうに人生を歩み、時代と対峙するのか、ということには当然ながら興味がわいてくる。・・・人はそれぞれちがっており、異なる人格は、同じ環境にもひどく異なる方法で反応する。
人生はややこしく、混乱していて、人は思いもよらない本能的な方法で人生を歩むものである。そうした複雑さにほんとうの意味で取り組むことができるのは、文学だけ―わたしはそう信じている。」 (「世界文学のスーパースター夏目漱石」)
ここには、「上から言葉を与え」たり「そうあるべきだ」という方向性とはちがう文学の「はたらき」が述べられています。
気鋭の教育社会学者の本田さんが、さきほど引用した「軋む社会」のなかで述べている部分は、文学と政治が最も近づく場面だと思います。
「行政当局にとって都合の悪い存在というのは、何か下から噴出してこない限り不可視化されている。それを可視的なものに、いわゆる存在感と彼らなりのボイス、単にぶつぶついっているノイズじゃなくて、輪郭のはっきりしたボイスをもつ存在として可視化させてゆくということが、ひとつ文学にありえる可能性なのではないでしょうか。・・・
ニートにせよ、フリーターにせよ、若者バッシング的なものは、若者を価値のない存在としておとしめ、若者の殻なり鎧なりを剥奪して、企業や国家が使いやすいほうに、あるいは自己排除するほうにもっていこうとする定義づけだと思うんです。
たぶん文学は、こういう上から与えられる定義をはね返す別の定義を、みずから私たちに与えていけるという意味での価値があるのかもしれない。
現代のフリーター文学的なものは、出会いなき、あるいは集団性なき個々人の日常を、私小説的に描くことが多いんじゃないでしょうか。・・・これはものたりないと思うんですよ。不安定な状況にある人たち同士の、閉じた関係性やそれにまつわる心裡が描かれ、それが続いたり終わったりして小説が閉じられていくというのは。
『現代におけるプロレタリア文学』がありえるとすれば、社会システムまで視野に入れ、グローバリゼーションにせよ、社会状況がマクロとしてあって、そのなかで各人がどういう位置に置かれているのかということを把握したうえで、戦略的なフィクションとして描きだすものであってほしいと思います。」 ( p223〜8 )
しかし文学に対する過剰で不当な要求に陥らないよう一線を画して「誰もが大きなシステムに巻き込まれざるをえない。それなら、もっと正面切ってシステムに立ち向かい、その作動を調整していこうとするような、ある種、生真面目な運動や政策提言も、一方では必要だろうと私は思うんです。」(p229)と明確です。
世の中には、悲しみが満ちている。
友人の葬儀の当日は、梅雨の晴れ間の真夏日を思わせるような、暑い日だった。
知人、友人の控え室で、お焼香の時間まで待つことになったけど、そこの部屋の冷房が効きすぎていただけじゃなくって、鼻水が出て仕方がなかった。
最後のお別れの時、棺のふたを閉めてもいいですか、とたずねられて、奥さんが2度小さくうなずいた姿が忘れられない。
帰って台所に立ち、お昼をつくれないと思って、スーパーでお弁当を買って帰った。夕方の歯医者さんの予約の時間まで、壁にもたれて、足をなげだしてTVでも見て、ぼんやりしようと思った。
ドラマなどのテーマや多くのシーンに、「別れ」が多いのに気がついた。今日はとても見ていられないわ、と思って、録ってあった音楽番組を見ることにした。オペラのアリア集のコンサートを選んだのだけれど、歌詞が字幕で出るので意味が分かるんですね。そうすると、ここでも「別れ」の気持ちを歌ったものでした。見続けることは出来なかった。
世の中には、悲しみが満ちている。
大切な友人が亡くなった
昨日は日曜日だったので、一日ぼんやりしていても差し障りはなかった。今日は、仕事をしながら、ふと意識がどこかへいってしまう感じと、目がなんだか充血して目の周りが暖ったかい感じが時々していた。膝はまだ少し痛いんだけど、それも何だか自分の足の痛みではないような感覚を感じていた。
土曜の夜、友人が亡くなったのです。
年齢は私よりすこし若いけど、大学は同じ時期だったのです。私は新聞奨学生で、彼は2部の学生だった。文学部だったと思うけど、経済のゼミも一生懸命勉強していた。
知り合ったきっかけは、はっきり覚えていないのだけれど、共通の友人を介してだったような気がします。アパートが同じ最寄り駅だったこともあり、お互いへ遊びに行って酒を飲みながらいろんな話をした。
彼の部屋には、自作の、ツイターを一台に2個組み込んだスピカーがあり、最初に聞かせてもらったのが、アイザック・スターンのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲だった。弦を擦る音が生々しく、ヴァイオリンの音が胴の中で響く音色に魅かれました。
中学の時に、いつも3人で遊んでいた友人のそれぞれも、ステレオを持っていて、いろいろ聞かせてくれたけれど、オーディオ的な刺激というものを強烈に感じたのは、そのヴァイオリン協奏曲が最初だった。
ここ4年ほどは、私が引っ越したことなどもあって、年賀状だけのやりとりになっていた。お互い「また、飲みましょう」は、儀礼だけの気持ちではなかったのだけれど。
数年前に膠原病と診断され、そのうちレントゲンに影がでるようになり、進行して肝臓癌になってしまったということです。抗癌剤で様々な副作用に苦しんだようです。それもあり、病気のことは家族以外には告げなかったと言われました。
最後はホスピスで療養し、一時体調がよい時に自宅へ戻り、今後のことなど、心残りのないようにと精一杯のことはした、とお聞きしました。
私よりタフな感じがしていましたので、訃報を聞いたときは、なぜ・まさか・まさか・・・という思いでいっぱいでした。もともと理工系の学部からの転部だったので、素養を活かしてコンピュータのプログラムの仕事をここ15年くらいはしていた。自分の能力を活かした仕事を続けたことや、家族を持ち、子どもたちも就職しているとのこと・・・まだまだやりたいことはいっぱいあったと思うけど、立派な人生だったと思う。ご冥福をお祈りします。
「自分を他者に投げ出す」ということ
5月25日の日記で、他者との関係において「(他者から)承認してもらうには、自分を他者に投げ出す必要がある」という表現に出会ったと書きました。その時は、自分のバイアスの掛かった受けとめ方を小さくする心構え、みたいな感じで書いたのですが、この「自分を他者に投げ出す」ということを今日は少し考えてみることにしました。
自分を他者に投げ出さない、これを、自分を隠したまま偽った姿で相手の前に立つ、と考えた場合、もしそれが「承認」されたとしても、自分の本当の姿が承認されたわけではない事を、自分が一番知っているはずです。他人の「承認」を引き出すような媚やへつらいの振る舞いと居心地の悪さ、さらには、自分の本当を分かろうとしてくれない他人への恨み、ということにもなりかねません。(分かってもらえなかった経験が、傷ついた自分を守る為に、自分の本当をさらさず、「承認」を得るであろう自分を演じる、ということになったのかも知れませんが)
自分を隠し、偽りを演じるように自分をコントロールする。そうすることで、相手が自分を「承認」してくれるように仕向ける、コントロールする。ここで、自分を評価する他者を自分の支配の下に置いているという逆転が起きる。コントロールさえしっかりしておけば、すべてうまくいくと。
そもそも自分を隠し、偽った姿で相手の前に立つのは、そうすることで相手に評価され、「承認」してもらうためで、ありのままの自分であっては、それが叶わない、という思いがあるからでしょう。(悪意のある、こちらをコントロールしようとしてくる相手では、相手が認める対応しか自分に許されない、という極端なことが起りますが。)
ここには、自分が自分自身を受け入れていない、他人と違う自分の個性や性格、能力などを肯定的なものとして受け入れていない、ということが根本にあると思います。
ありのままの自分自身を受け入れ、自己コントロール(と他者コントロール)を手放す。それが「自分を他者に投げ出す」ということではないでしょうか。
そして、そのことがどうして他者からの承認を得ることと繋がるかというと、他者はその時、目の前に当たり前の、普通の、自分と同じ一人の人間を見出すことになるからでしょう。そこからコントロールしあうことのない、対等で親密な関係が始まると、思います。
東山魁夷さんと時代の息吹
6月4日の日記の終わりで、「時代の息吹の表現者となること」を書いたのですが、書きながら息吹というものが、芽吹きと音が似ているし、新しいなにかへのイメージと重なるな、と思っていました。
例えば、先のティントレットの「受胎告知」の場合も、人間的な感情を赤裸々に表現することで、絵画的な表現の枠を広げた、という感じに受け取れましたから。
今年は画家・東山魁夷さんの生誕100年ということで、書店にも各種の画集が並べられています。東山さんの絵は、独特の色彩と様式的な表現を感じます。現実でないような世界を描き、自己の内へ沈潜する一種の唯美的とさえいえる世界が追求されていると思います。
東山さんの個人史を知るとき、戦争を境に、人間的真実の精神的なあり方を追求した結果だとするなら、そこにも現実と切り結んだ「時代の息吹」が存在すると言っていいのではないでしょうか。
戦後の経済復興や民主社会の実現という、いわば私たちを取り巻く外側で起こっている「新しい」側面ではなく、戦後の混乱の時代から立ち直るための精神的な拠り所を、私たちに見える形で示してくれたと。
戦前の時代精神を規定してきた「国体の本義」に典型的に見られるような、国・共同体との関係においてのみ人間の本質的なあり方を追求するのとは別の、より「自由な」、見晴らしのよい人間的な存在の核となるたたずまいを具象化したことにより、人々は、今までとは違う国・共同体との関係を再考しうる契機を得た、とも言えるのではないでしょうか。
ここには、時代と切り結んだ「息吹」というものが確かに感じられます。
ここでの「新しさ」は、まったく最初のとか、新奇なという新しさではなく、人間の存在のある層にたいする感応・認識とでも言っていいものでしょう。それは、日常の生活や社会的な危機、激変の時(代)に、それを相対化し、新しい視点や意欲を来たらす、そのつど「新しい」ことがらとして立ち現れてくるものかも知れません。
落語「芝浜」で考えてしまう時代の質
先日のように、体調が悪くて会社を休み、病院へ行くことで、給料が減る+臨時の出費が掛かったりすると、体に負担をかけずにお金が手に入ったらいいなぁ、と思ってしまう。宝くじが当たったりしてね。
でも、そんな時、思い出すのが、落語の「芝浜」。 (立川談志さんをラジオで。随分昔ね。)
話は、大金の入った財布を拾った亭主が、これから当分遊んで暮らせることの前祝だと仲間を呼んでのドンチャン騒ぎ。あくる日に、あの財布はどうしたと、おかみさんに尋ねるけど、そんなものは無くて、拾ったのは夢でも見たんだろうし、働かなくって手に入れたお金で生活しようなんて情けない人間だ、といさめられる。奮起した亭主はお酒も絶って、一生懸命働いて魚屋の店を構えるまでになった。3年経った大晦日に、落とし主が現れなかった例の財布を見せて、おかみさんは嘘を詫び、亭主の方も、お陰でここまでやってこれたと感謝する。久しぶりにお酒を勧められた亭主だけど、“よそう、また夢になるといけねえ”というオチがつくものですね。
働かないでお金が手に入ることを望む気持ちは、この落語を聴くと、いまでもいさめられます。
しかし、今の世の中、真面目に働いても金銭的に報われることがあまりにも少ないと思う時、人間を支える時代の質に戸惑ってしまいます。
2月15日の日記で、池田晶子さんの「14歳の君へ」を引用しました。
「生きてゆくためには、お金はやっぱり必要だ。やっぱりお金は欲しいと思う。なんだか自信がなくなったら、こう自問してみるといい。私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。
生きるためなら、何のために生きているのか」と。
今日はもう少し先を、読んでみよう。
「なるほど現代社会では、お金で買えないものはなんか何もないみたいだ。豪華な家、豪華な服、豪華な旅行、お金があえば好きなだけ買えるし、お金があれば、人にもちやほやされて、寂しい思いをすることもない。だから、お金がすべて、お金さえあれば幸福なのだと、多くの人が思っている。・・・
生活はお金で買うことができる。しかし、幸福をお金で買うことは絶対にできない。なぜなら、幸福とは、職業や生活のことではなくて、心のことだからだ。・・・
幸福というものを、お金に代表される、職業、生活、暮らしぶり、外から見てわかる形のことだと思うことで、人は間違える。・・・人がうらやむような生活をしていても、その人の心が幸福であるとは限らない。逆に、心さえ幸福なら、人から見ていかに不幸に見える生活をしていても、その人は幸福だ。他人からどう見えようとも、自分の幸福とは関係がない。これは当たり前なことじゃないか。
幸福を他人と比べられると思うことで、人は自分を不幸にするんだ。」 ( p172〜4 )
宝くじが当たったら、などというのは何か劇的な変化を求めている、ということだろうし、その根底には今の自分(の境遇)に対しての不安や不満があるのだと思う。 それが解決されれば本当に自分が望む自分(の生活)になれるのに、というように。
働かなくてもいい悠々自適の生活が手に入ったとして、そこから本当の自分であることが出来る時間が始まるのか? そう問われると、自信はないね。ワーキングプアや当事者性について考え続けることが本当にできるのか。格差は人ごとになってしまわないか。そうなったら、この問題は社会を規定する本質的なことがらに繋がっている、と考える自分のありかたと異なってしまわないか。違ってしまう自分を今度は楽しみましょう、とはなりえないことだけは確かだ。
わたしは私であることができる必要な場所に立っている。しかし「何か劇的な変化を求めている」。
食べるためには働くし、働くことの人間的な意味付けも考えつつ、またその働くことをめぐる社会的な環境が理不尽であったり、不合理であるなら糾していきたいと思っている。しかしそれだけには収まりきれない自分がどこかにある、という感覚も。
池田さんは、さらに先のところで「人生というものは、・・・具体的な将来像のことを言うのだろうか。君が自分の具体的な将来像として想像しているものが、人生というものなのだろうか。
人生というのは、あれこれの将来像のことじゃない。それらの将来像が可能であるための、生きているということ、生きていることそのもののことを、『人生』と言うんだ。いつ死ぬかわからないのに、でも生きているというそのことをね。それじゃあ、その『生きている』ということは、どういうことなのだろう。
人間は、必ず死ぬ。年をとってから死ぬんじゃない。生きている限り、すべての人は必ず死ぬのだから、それは明日かもしれないし、今夜かもしれない。・・・この、ものすごく当たり前の事実を、しっかりと受け止めることだ。・・・どうして宇宙は存在して、どうして人は生きて死ぬのかなんて、いったい誰に問えばいいだろう!
君は、本当の人生と、ウソの人生と、どっちを生きたいと思うだろうか。
本当の人生とは、人は必ず死ぬという事実をしっかり受けとめて、しっかりと生きていく人生だ。ウソの人生とは、人は必ず死ぬという事実から逃げて、ごまかしながら生きていく人生だ。・・・
本当のことは、本当のことなんだから、受け止めてしまえばもう怖いものはない。・・・人間が生きて死ぬということは不思議なことだ、そう知っている君は、誰か身近な人が死んでしまっても、ただ嘆き悲しむばかりではないはずだ。あるいは、宇宙に存在する人間は何をしているのだろう。その不思議を知っている君は、世の中の金もうけ競争に巻き込まれることもないはずだ。
不思議を不思議と知り、なおそれはどういうことかと考えることを知っている君は、飽きるということを知らない。・・・考えれば考えるほど、謎は深まる。考えるのは、他でもない、この人生が存在するという謎だから、考えるほどに、人生は味わい深い、面白いものになってくる。・・・せっかく生きているのだから、この面白さを、めいっぱい楽しんでみたいとは思わないか。・・・ひょっとしたら、それが、このわけのわからない人生が存在するということの、意味なのかもしれない。」 (「14歳の君へ」 p178〜181、184〜7 )
私が欲する「劇的な変化」=精神的な変身・充実、自分を広げることのイメージは、池田さんの問題の立て方、メタな論理よりも、もう少し現実社会の中でのあり様を探る感じはするけど、顔の挙げ方・方向は参考になるなぁ。