頭の体力

朝日のWebの中の「どらく」のコーナーで茂木健一郎さんのインタビューを読んだ。
その中で高3の時、最寄りの駅で見かけた友人が、英語でエリザベス1世の伝記を読んでいて、友人が言うには、受験勉強は大変なので、こういう本を読んで精神のバランスを保つんだ、という話が紹介してあった。
体を片側だけにひねっていると体が歪むけれど、逆にもひねってやれば、バランスもとれるというもんですね。
彼の友人は、好奇心も強かったけど、頭の体力があったんだなぁと思う。(頭の体力を鍛えるのは好奇心の強さかな)。
私はどんな生徒だったのかしら?「教科書に載っていることは何でも知っている。」中学の時に担任に言われた言葉だ。もちろん褒め言葉じゃないよ。応用力がない、ってことだったからさ。
関連するかな?忘れられないことがあるんだ。
小学3年生の時、国語教科書の巻末にのっている漢字一覧からの、漢字の読みのテストで「歩」を「ほぶ」と解答欄に書いたこと。返してもらった答案に×がついていたので、教科書を持って教壇の先生のところへ行った。私の教科書の印刷がうすくて「ほぶ」の間の「・」が見えなかったのだ! しかし文章を読む中で確認しながら覚えていけば、「ほ」または「ぶ」と読むというように覚えていたのだと思う。
好奇心についても、国語の教科書に載っていた小説の一部を面白いと思ったなら、普通は全部読んでみようとか、他の作品も読んでみようと、思うんじゃないかい。あったかなぁ?そういうことが。覚えていないということは、なかったのかな。一度くらいはあったとしても、読んであまり面白いと思わなかったんだろうな。こんなことに時間をとられるよりは、教科書を読んでいた方が、時間の有効な使い方、と思ったんだろうかねぇ。
ああ、教科書を一生懸命勉強しようという強迫観念?の元になった事件があるんだ。今思うとね。
小学校に上がる前は、近所の同い年の友だち何人かで、いつも缶けりやチャンバラをしていた。ある時、急にみんな遊び場所に来なくなってしまったんだ。母に聞いたら、みんな幼稚園に行ったんだ、と聞かされた。幼稚園というのは、歌を皆で歌ったり、字を覚えたりする所とも。自分も行きたいとは言わなかったと思う。それからの時期、どうゆう風に遊んで時間を過ごしたか、覚えていない。
小学校の入学前の学力テスト?みたいなものがあって、ひらがなを読んだり、数字を言ったりとかだったかな? その最後が、図形の問題で、形のいびつな二つの四角いものを、くっつけて長方形にする問題だった。二つを手に持って、あれこれやってみるんだけど、うまく長方形になってくれない。少し時間がかかったけど、出来た! これでテスト全問○だよ。後ろで緊張しながら、のぞきこむように立っていた母からも、ふーっと息がもれた。
これで幼稚園に行かなかった私も、みんなと同じスタートラインに就いて、小学生が始められる。その時ははっきりと、そう思ったわけじゃないけどね。