当事者と当事者性

「その事柄に当事者性を自分も持ちたい、というか持つように自分を動かすものは何でしょうね。その切実さってどこから来るものなんでしょうか。想像力の質と認識の質の問題? その質の転換を促すものって何?」 昨日の日記の最後はこうだった。
ある状況にあったとしても、自分がその当事者であると自ずから思う訳ではないよね。
社会的なグループのくくりとしては当事者であると言えても、当事者であるとは、自覚的な引き受け、社会的な自己規定という側面を持っていると思う。 その自覚的・自己規定というニュアンスに、私は社会に向けて発信する、行動するという要素を感じている。少なくとも、その社会的状況と、当事者として自己規定したその自己とが緊張関係を持ち続ける、ということをイメージしている。 私はこれが当事者性だと思う。
当事者であることで自ずから当事者性を持つ訳ではなく、非当事者であっても当事者性を持つことは当然あり得るということになる。
当事者性をもつこと、その切実さの由縁には触れていないけど。